「「人生に意味や理由なんて無い」を飲み込むのにやたらと時間がかかった」を読んで
とても興味深いエントリー。
意味がないという言葉は、メリットがないとか、効果がないという時にも使われるけど、ここで指しているのは社会的な成功など他の人よりも成功を収めることだと思った。
特別な人間にならなきゃいけないと思いたければ思えばいい。
でも、それが呪縛となって自分が苦しい思いをするのであれば、必要はない。
何をどう考えるかは自由だ。そもそも成功の判断基準すら人によって違う。
「意味」をGoo辞書で調べてみると、“言葉が示す内容”と解説してあった。
人生は人によって大きく異なる。たとえ、自分自身にクローン人間が存在していたとしても、たまたま起きうるラッキーやアンラッキーによって性格すらが変わっていくだろうと思う。
困っている女性に声をかけたら、仲良くなることもあるだろうし、そこから恋が生まれることもありうる。声をかけなかったクローンにはそうした結果は得られない。
僕自身も、僕たちは何のために生きているのだろうと考えたことがあるが、
僕なりの答えは、
それぞれが自分なりの人生に対する解釈を通して、人生を体験すること
だった。
ある人にとっては、「金がすべて」。
ある人にとっては、「金よりも大切なものがある」。
ある人にとっては、「経済よりも安全が大事だ」。
ある人にとっては、「宗教がすべて」。
という風に。
社会の中には善悪が存在するが、社会ごとにその基準は大きく異なる。
僕たちの社会では、人を殺すことは悪になる。
でも、イスラム国では異教徒を殺すことは善になる。そして、奴隷制すら善である。
アメリカからすれば、国家に忠誠を誓わないことは悪であるが、
日本は忠誠を誓うことはとんでもないという考え方だ。
武家社会では殿様に忠誠を誓うことが社会的な善だったが、
いまならたんなるブラック企業だ。
人生をどう捉えるかは自分次第だ。その捉え方によってどんな答えがでるかは分からない。
答えは一つではないところが、この人生の醍醐味なんだと思う。
僕が日本のことを好きな理由の一つは、評価の軸がたくさんあることだ。
お金がある人だけが評価される社会ではなく、美男美女だけが評価される社会でもない。
自分なりの解釈で生きられる社会は、自由でそして力強いと思う。
「人生に意味や理由なんて無い」も解釈のひとつ。
まだまだ人生は長いのだから、一緒に悩んでいけたらと思う。