友だちと友だちではない人、死んだときに悲しいのはどっち?
私の感情において「自分との近さ」はとても大きな影響を与えます。
友だちが死んだときと、
友だちではない誰かが死んだとき、
悲しいのは前者の方です。
これは「友だちではないない誰か」の命を軽んじているわけではないのです。
差別でもありません。
単に自分との近さで、自分の感情の揺れ幅が異なっているだけなのです。
これは人間が備え持つ、自己防衛のひとつなのではないでしょうか?
毎日誰かが殺されています。
死を平等に扱おうとするならば、同じように悲しむことになりますが、
毎日同じように悲しむことはできません。
私たちにとって日常を生きていくことも大切な行いだからです。
だから、自分とから遠いひとには感情を移入できないようになっている。
私はそう思います。
もちろん、多くの日本人にとってフランス、パリの人々は身近に感じることは多いのでしょう。その一方で、内戦や内乱が常態化し、平凡に暮らす人々が常に危 機に晒されている地域はたくさんあります。パリでの事件の前々日にはレバノンのベイルートで200名以上の死傷者が出る連続爆破テロがあり、ロシアでは乗 員乗客あわせて224名を乗せた民間飛行機がテロと見られる爆発が原因で墜落し全員死亡しました。シリアで、南スーダンで、各地で起きる死亡事故、襲撃は 日常的なものであって、本来であればすべてに対して心を寄せ、祈らなければならないことばかりです。
仏パリで犠牲者120名以上に祈りを寄せる日本人、レバノン、ロシアなどにも祈ってあげてください(山本一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
山本一郎さんが言われることはわかります。しかし、すべてに対して心を寄せることはできないのではないでしょうか?
私にとって心理的に近いのはフランスでした。
私がそうであっただけであって、私以外の人が、日本にはフランスよりもロシアに、フランスよりもシリアに、フランスよりも南スーダンに心理的に近く、心を砕かれる方もいらっしゃると思います。
それぞれの価値観で、それぞれの死を悼むことでいいのではないかと思っています。
もう一度いいますが、これは命の重さを差別しているのではないのです。
折りしも複数の現地報道では、パリでの一連の爆破テロで、爆弾を身に巻き、自殺していったテロリストを「カミカゼ」と表現しています。
これ、70年前の日本人のことではないですか。
仏パリで犠牲者120名以上に祈りを寄せる日本人、レバノン、ロシアなどにも祈ってあげてください(山本一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース
私もこうした情報を触れたときはカミカゼと似ていると思ったのですが、翌日に思い直しました。
カミカゼが攻撃したのは、当時も世界最強のアメリカ軍の武装した軍艦であり、死を覚悟して戦地に向かう軍人です。武器を持たない一般市民を標的にしたのではありません。
「自爆行為」の部分は同じですが、弱い相手を攻撃するのではなくて、自分よりも強い相手に対して攻撃しようとしたところは、評価に大きな影響を与えるのではないでしょうか?
最後に、この記事の目的は、山本一郎さんをdisることにはありません。
ただ、テロという大きな出来事に対して、自分の気持ちを残しておきたいと思っただけです。